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息子にとっての兄姉とは

重度知的障害の息子が2,3歳の頃は、私たち親や兄姉の存在をどのように意識しているのか、全くわからない程に無関心に思えてなりませんでした。
目も合わない。
呼んでも振り向かない。
でも9歳の今、息子にとってのお兄ちゃんとお姉ちゃんは、かけがえのない愛する大切な人ということが、目に見え心から感じられます。
これは息子が幼い頃、弟を兄姉が呼びかけても目も合わさず応えもしないのに、ずっとあきらめず寄り添ってくれたおかげです。
今はきょうだい児の問題や、ヤングケアラーが世の中で話題になることが多いですが、それを意識し過ぎて、障害のある弟には触れさせないというのは、私は違うと思っています。
障害の有無にかかわらず、我が家にもきょうだいの関係があるからです。
「世話をする」と「愛する」は別物です。
それは健常児のきょうだいと同じではないでしょうか。
弟が喜ぶこと、安心できること
長男と長女は、今年一年も弟に多くの安心や経験、喜びを与えてくれました。
それは、物ではなく心で感じるものです。
ほんの一部ですがご紹介します。
弟の手を握り視界に入って話をしてくれた

難しいことは手を取り教えてくれた

痛みに寄り添ってくれた

お手本を見せてくれた

辛い時は笑わせてくれた

見たものを言葉にして話してくれた

手伝って欲しい時にすぐ気づいてくれた

時間がかかっても待っていてくれた

弟に持てる荷物を選んでくれた

暗くて怖いところにもついてきてくれた

しんどい時は毛布を掛けてくれた

イライラして壊しちゃっても「平気だよって」フォローしてくれた

いっぱいハグしてくれた



兄はそっと手を差し出し、姉は後ろで支えてくれた

呼んだら応えてくれた

言葉が話せなくても話を聞いてくれた

周りとはちょっと違う弟だけどずっと一緒にいてくれた


親の私にできること

今までの三人のかかわりを見てきて感じるのは、長男と長女は、見返りを求め弟に何かをしてあげたいと思っているようには思えません。
「弟は障害があるから助けてね。」
「できないことが多いからごめんね。」
という言葉ではなく、二人が弟と家族としてどうありたいかを親が感じ、寄り添っていくべきだと思っています。
”きょうだい児だから弟に触れさせ過ぎない”ではなく、きょうだいの望む、ほど良い距離感を大切にしていきたいと考えています。
障害の有無にかかわらず、私たちはどこにでもいる普通の家族です。
最後までお読みいただきありがとうございました。