重度知的障害自閉症の息子を育てていて、
消えてしまいたい、全て投げ出してしまいたいと感じた日々がありました。
そんな私の経験とそれを乗り越えた話です。
※ネガティブな内容が含まれます。
Contents
息子大暴れのきっかけ
息子の心が乱れたきっかけは、引っ越しでした。
7歳の春、住み慣れた家にお別れし新しいお家へ。
引っ越しといっても、前の家から徒歩10分程度のところです。
新しい家は、建てている途中息子も何度か足を運んでいたところだったので、特に息子には引っ越しを伝えず、この時は安易に「新しい家を喜んでくれるかな」と考えていました。
そして引っ越しの日、息子が学校から帰宅するのは新しい家です。
「今日からここで寝るからね」
そう息子に伝え、夕飯と入浴を済ませた後、布団に入りました。
新しい寝室に、少し戸惑った様子の息子。
一日目はいつもより2時間遅く就寝しました。
それから1ヶ月間は
学校の先生や放課後等デイサービスのスタッフに
「引っ越しがありましたが、息子さん落ち着いていますね」
と言われ、息子も住み心地が良いと感じているのだと思い、変わらないスケジュールで過ごしていました。
ですが2ヶ月経った頃、段々と息子の様子がおかしくなり始めます。
息子の精神が不安定
引っ越しから2ヶ月。
明らかに癇癪やパニックが多くなり、感覚過敏も酷くなり始めました。
元々落ち着いた性格の息子とはまるで別人で、毎日のように一日中唸り声を上げ、泣き叫びます。
この時の様子は
- 一日中機嫌が悪い
- 泣き叫ぶ
- 不快そうに唸り声を上げる
- 物を投げ、引っ掻く
- 感覚過敏が酷くなる
- 学校でも毎日不機嫌
- 偏食が酷くなる
- 眠れない
特に睡眠障害が最も辛く、毎日明け方4時まで起きていたり、たとえ22時ごろに眠れても、翌1時頃に目が覚めてしまう生活が続きます。
そのため、息子は日中眠くなり、放課後等デイサービスで仮眠を取らせてもらったこともありました。
また毎日睡眠不足のため、日中の活動に集中できず、息子にとって学校生活も辛いものになっていきました。
感覚過敏では、以前まで問題なくできていた
服を着る・お風呂に入る・髪を乾かす・爪を切る・マスクをつける・歯磨きをする・リュックを背負う・身体に触れる
これらのことを極度に嫌がり、出来なくなっていました。
何とか息子をお風呂に入れても、2時間裸で泣き叫ぶなんて毎日のことで、歯磨きや爪切りは、眠っている間に何とか済ませていましたが、動くのでしっかりおこなうとはできませんでした。
こんなことが3ヶ月間続くと、息子と私の精神状態はボロボロ。
私も毎日イライラし、息子や家族に当たってしまい、遂には
「怒っている声が怖いからもう少し静かにして欲しい」と周囲に言われ、”誰にも辛い気持ちを分かってもらえないんだ” と、とても悲観的になりました。
親である私の不調
息子の睡眠障害が起きてから、私も夜中にずっと付き合うため、眠れない日が続きました。
夫は普段から子育てに積極的ですが、息子の不調が続いたこの時期は仕事が忙しく、私はワンオペ状態。
次第に私は日中何もやる気が起きず、息子が学校へ行ってからリビングの椅子に横たわり、
「消えたい 消えたい・・」と泣き続け寝落ちしたりを繰り返していました。
5年続けた仕事も辞め、短期間で体重が3㎏落ち、毎日スマホで調べていたのは、精神科や心療内科。
でも息子も病院に連れて行かなければならない。
分かっていても身体が動かない。
病院で、自分の子育てや精神状態を否定されるのも怖い。
気付けば「手首に包丁を当てたらどうなるのだろうか・・」と考えたり、夜中に一人で遠くへ行くことも考えました。
その時頭によぎるのは、上の子たちの哀しむ顔でした。
抑うつ状態が続き結局何もできないまま、暴れる息子を病院へ連れて行く気力もなく、息子の様子がおかしくなってから3か月が経っていました。
子育てで限界がきた時毎日キッチンの片隅で泣いた。もう無理 消えてしまいたい そんな事をずっと考えてた。旦那のいる夜中に一人で家を飛び出す事も考えた。でも出来なかった。そんな自分が情けなかったけど、子ども達の命だけは危険に晒されない方法を常に考えている自分に「私はまだ母だ」と思った。
— *イケメン自閉症せいくん*ブログ更新中* (@seikunnoouchi) March 29, 2022
誰かに相談すること
私の精神状態がボロボロになっていた頃、私の妹が産後うつになっていました。
そんな妹に対し、私たちの母は
「うつになることはメンタルが弱いから」
「うつ病を人に話すなんて恥ずかしいことしないで」
と言いました。
子どもの頃から「しょうもないことで泣くな」と言われ育った私は、この言葉を聞いた時も、母や誰かに弱音を吐けませんでした。
誰かに聞いて欲しい
誰かに助けて欲しい
毎日そんなことを考えながら誰にも辛さを訴えられませんでした。
やっとの思いで息子を病院に連れていき、服薬を始めることになった時、夫に
「今まで消えたくなるほど辛かった」
「でも助けてって言えなかった」と伝えることができました。
きっと、この行動がすごく遅かったのは分かっています。
でも、私の中に、
「産んだ子供を育てられないなんて、情けない母親だ」
「自分が弱いからいけない、弱音を吐くことは恥ずかしい」
という気持ちがあったからです。
夫に話してから、随分と身体が軽くなる感覚になったのを覚えています。
まとめ
私は健常児と障害児を育てていますが、これほどまでに辛いと感じたのは、生きていて初めてでした。
この時から私自身考えも改めるようになりました。
- 辛い時は辛いと言わなければならないこと
- 自分の性格を育ちのせいにしないこと
- 誰かに期待しないこと
- 今日やらなくても良いということ
- 誰かの辛さと比較しないこと
- 私は頑張ってると口に出すこと
- 迷惑はかけても家族を傷つけないこと
- 変化が苦手な息子のことをもっと知ること
辛い時に辛いと言えないことが一番辛い。
真っ暗なトンネルの中で、辛くて歩けなくなっているような生活でしたが、今息子は4種類の薬の力を借りて、笑顔を取り戻すことが出来ています。
障害児の子育ては辛いと感じることや、大変なことがたくさんあり、きっとこれからも私自身大きな壁にぶつかることと思います。
でも13年子育てして一つ言えるのは
大変だけど不幸ではないということです。
最後までお読みいただきありがとうございました。